2010年3月10日水曜日

書評:差別と日本人

正直に言って、この本を読んで野中氏の考え方に同調するとか、辛氏の議論に感心するとかいうことはない。しかし、本書を通しての発見はあった。これが本書のバリューだと思う。
私にとって最大の発見は、「差別は歴史の蓄積の中で作り出されるものではなく、必要だと考えている奴によって現在に作り出されるのだ。」という辛氏の主張だ。差別は、必要だと思っている奴が、恣意的に作り出すものであるのだ。自然発生的に生まれるものではない。したがって、野中氏がいうように、差別は解決可能な社会課題であるという認識からアプローチすることが大切なのだ。これは、いまの自分にとって、とても価値ある発見だったと思う。
例えば、役人社会には、差別に近い行為が沢山ある。高級官僚は、幾度となく「君みたいな民間人が」という発言を繰り返して、私を区別してきた。情報セキュリティ補佐官に着任するにあたって、警察関係者がギャーギャー注文を付けたことから、非常勤ながら公務員発令も受け、国家公務員法によって守秘義務も掛けられているというのに、高級官僚は「君は公務員とは違う。民間人なのだから」と言い続け、排除を続けるのだ。これは、私を「民間人」として区別して排除することにより、同時に役人自身が持つ権威性等の既得権益を守ることに奔走しているのだと考えることができよう。だから、排除の方法として区別(社会性を持つと差別)をして、結果として彼らの利権を守る。官尊民卑という差別道具は、(彼らにとって)利権確保の意味があるのだ。
そして海堂氏の「死因不明社会」を合わせて考えれば、役人の不作為も、結果として選民意識、差別体質の現れなのだろう。
ただ、これは当然解決可能な課題だ。そして、彼らが持っていると勘違いしている「利権」を、ちゃんと置き換えてやればよい。民主党が言う政治主導というメカニズムがちゃんと根付けば、そのような「利権」も形骸化していくだろう。そうすれば、実は、色々な問題を解決できる可能性は多分にあるのではないか。そういうことも考えさせられた一冊だ。
発見がある本として、お勧めだと思う。また、自分の中にある差別意識をチェックする本としても利用価値はある。まぁ、中身そのものには、賛否両論もあるだろう。それは仕方が無い。現代日本人の心の奥底に置かれている問題に触れている。受け入れられる人と、反発する人の両方がいるのは仕方が無い。ただ、この本によって、心がどちらの方向に揺さぶられたとしたら、自分の心を素直に見つめ直す時間を持つのが良いのではないか。

書評:死因不明社会

作者によれば、小説「チームバチスタの栄光」は、Ai (Autopsy Imaging) を社会に定着させたいがために書かれた小説だそうな。
著者である海堂は、実は現役の病理医であり、わが国の死亡検案(いわゆる検死)における課題をとり上げる。この国では、死因を正しく調べ、適切に死亡検案書を作成する環境がないことを指摘する。本来であれば、監察医制度が全国に展開していれば、このようなことは無かった。しかし、現実には全国 6都市に監察医制度が限定され、結局大多数の検案は医者に酔って行われる。さらに、本当に死因を追求するためには、死亡時に各種検査を行ったり、解剖を行うことが必要である。しかし、現状では解剖は殆ど行われない。しかも、解剖したとしても死因を正しく特定できるかどうかについて、医者の側でも3割程度の誤診があると認めている。さらに、解剖に携わることができる医者は少なく、また、対応出来る病院も少ないと告発する。わが国は解剖率はたった3%しかない。米国では60%もの解剖率が維持されているのに。
このような状況は、公衆衛生の観点から言えば、結局何が人を死に至らしめているかが分からない状況であり、結局、医療政策の重点化やポートフォリオの組み直しについて、合理性があるかも分からないということになる。さらに、医療行為そのものについても、結局それまでの治療効果はあったのかも分からない。こんな分からないことが多い状況は医療の改善にもならない状況である。
このような状況は、実は、厚生労働省の意識的な不作為によって生まれてきたと厳しく糾弾する。さらに、役所の無知、政治家の無知によって、この課題は放置される。
ただ、問題を指摘するだけなら、誰でもできる。海堂は、その解決方法を提示する。それが、死亡時医学検索の一般化、その中で、特に Ai という画像診断技術を使った、死亡時の全身画像検索を実施し、さらに本当に必要な場合、部分解剖を試みることを一般化すれば、今のような状況は大幅に改善されると提案する。
本書は2007年に出版され、関係者の間では衝撃の一冊だったらしい。しかし、まだまだ状況は変わらない。
本当にこの国は変だ。解決方法が提示されており、しかも、効果も計測できている。あとは、どう実装するかを考えればいいのに、役人は検討すらしない。もしも問題があるなら、その実装検討の中で、ちゃんと問題点を指摘すればよいのだ。それすらしない役人の不作為は、本当に問題だ。
今の官僚制度は、役人が「公僕」であり、同時に政策の社会実装を考える「専門家集団」であることが前提になっている。しかし、現実はこの二つの条件も満足しない、単なる「利権維持システム構築」を生業にしている「給料泥棒」が沢山いることも事実だ。少なくとも、人の生き死にに関わる厚生労働省の役人は、少し真面目に考えた方が良い。御用学者と組んで、利権維持に奔走する厚労役人は数多い。おいら自身の経験の中でも、そういう輩と出会ったこともある。本当にどうなっているんだと。本書を読んで、中身以上に、役人の不作為にうなずき続ける一冊でもあった。

海堂が最後に示している一言は、とても示唆に富む言葉だ。そして、本当に幹部役人にぶつけたい!
無知は罪である。そして無知とは、考えようとしない怠惰の中に棲息する。