2010年9月17日金曜日

書評:アリアドネの弾丸

海棠尊の「田口&白鳥」シリーズは、著者本人が別作品(死因不明社会)で述べているが、日本では、私たちが死亡したときに、適切に死因が特定されない状況を改善すべきであるという主張をしている。死因が特定できない社会状況を放置すると(1)適切な医療が行われたかどうかの検証ができないために医療の高度化が望めない、ひいては国民の福祉の向上にはならない、(2)死に事件性が有ったときに適切な司法捜査が行われるかどうかがわからない、つまり犯罪を見逃してしまう、というリスクを指摘している。これは、現在の検死制度、司法解剖制度等に大きな構造的問題があるのだ。これをAI(死亡時医療検索)をすることで改善できる可能性を、十分な合理的理由付けで示している。

さて、今回の「アリアドネの弾丸」は、仮にAIが導入された時に、何が抵抗勢力になるかを明らかにすることを目的にして執筆されたものであることは明らかだ。そして、その抵抗勢力とは、警察権力である。現状では、検死・司法解剖制度に不備があり、死因が特定できない、あるいは、特定しようとしないことが平然と行われている。そして、その状況を検証する手段すら、警察が独占している。したがった警察の手抜き行為を指摘し、捜査活動を改善していく道すらない。仮にAIが導入されてしまうと、死因特定できる可能性が高まり、このために事件性があっても警察の怠慢によって見逃されてきた事案が明確になる。このようになると、警察にとっては痛く都合が悪い。したがって、AIを警察が管理できるところに置かなければならないという方向に行くであろう。

一方、海棠は、AIこそ医療の側に置かなければ、現在の警察の怠慢や隠蔽を監視する機能を果たせない。警察の活動を監査するメカニズムとして機能させるには、AIは医療の手になければならないと主張する。

このような抵抗勢力「警察」を真正面から取り上げ、その問題を明確に指摘するために書かれたフィクションが、この「アリアドネの弾丸」ということができるだろう。

それにしても、著者は、警察官僚の考え方、発言の癖、そして行動の癖を本当に良く表現している。まさに内閣官房で働いてきたときに、目の前で現れる彼らの挙動性向を本当に良く表現している。そして、社会のことをそっちのけにして、自分たちの組織防衛と無謬性伝説を維持することだけに全力を尽くす「馬鹿さ加減」も良く書かれている。どこで、その特性を学んだのだろうと気になって仕方が無い(笑)

小説として見たときには、白鳥のコミカルさがやや少なく、スーパーマンに仕立て上げられてしまっているところが鼻につくが、まぁ、そこは仕方ないのかな。さらに、実際の医療現場における画像処理利用環境の表現についても、多少何をイメージしているのかが気になる。特に、電脳紙芝居と呼ばれるシステムは、3DモデラーにMRI等から撮られた断層写真をはめ込んでいくシステムだと想像が付くのだが、それでもこの小説に書かれているようなレベルでの表現ができるものがあるのかどうか。それも気になって仕方が無い。

とはいえ、良く出来た小説だ。一度読み始めたら、最後までグイグイ引っ張って行かれる筆力は凄い。シリーズを読んでいない人には、少しだけアドバイスを。本書を読むには、少なくとも田口&白鳥コンビシリーズの前作「イノセントゲリラの祝祭」とブルーバックス新書「死因不明社会」を読んでからのほうが、理解が高まって良いだろう。