2011年8月31日水曜日

書評: 神様のカルテ / 夏川草介

話題の小説だ。ベストセラー。アワード受賞作品。漫画の原作にもなり、今年は映画が公開される。
長野県松本市の中規模民間病院に勤務する内科医栗原一止が、その激務の中で、患者との心の触れあいを通して紡がれる優しさや愛情を見いだすことを描く作品。先端治療からも見放された末期患者に対して、真正面から向き合う医師としての一止を描き、医師の悩みと葛藤を示しながら、同時に末期患者のQOLとは何かを改めて考えさせる作品にも仕立てている。
しかし、読了後改めて振り返ってみると、この作品は医療現場を使ったスラップステック・コメディではないかと邪推している。徹夜が続く医療現場での、砂山と栗原の行動と会話は、まさにコメディである。さらには、激務終了後にフラフラの状態で帰り、彼が住む「御嶽荘」なる集合住宅での酒盛りも、これまた喜劇そのものだ。世の中には、本作品を感動大作とか、人間愛を見る感動の一冊とかいう紹介もあるが、おいらは本書がそういった言葉にぴったりという評価はできないな。本書は、著者が相当計算しまくって書かれたスラップスティック・コメディであると思う。ただ喜劇だけでは小説にならないので、それにヒューマンドラマも混ぜてみたのだと。そう考えれば、かなり腑に落ちるところが多い。これってコメディたっぷりなんだ!と。気楽に読んでOKって感じ。この本には、それが丁度良い。

2011年8月21日日曜日

映画 "Under the Tuscan Sun" を見た

Frances Mayesのエッセイ "Under the Tuscan Sun" からインスパイアされて生まれた映画作品。作家のフランシスは突然の離婚に追い込まれる。気分転換にやってきたイタリア・トスカーナ地方で、衝動買いで家を買う。そしてトスカーナの暮らしが始まる。異なる文化に接し、暮らすために必要なことを進め、恋があり、食事があり、出会いがある。そして、離婚でボロボロになった心を少しずつ解きほぐしていくステップが、イタリアの奔放なのんびりな空気の中で絵が描かれる。
エッセイ "Under the Tuscan Sun" は10年前ぐらいに原文で読んだ。Frances Mayes が、本当にトスカーナに家を買って暮らし始めることで書かれた作品。とても面白かったし、ゆっくりとした時間の中で、家を修復し、オリーブ畑を復活させるプロセスの中で出会う様々な出来事を書いたものだ。そのエッセイは素晴らしい。本当にトスカーナに行きたくなる。
このエッセイからインスパイアされて、映画が生まれ、しかも恋が入っているところなんかは凄いなぁって思う。この映画は、原作のエッセイを思い出すのではなく、別物と思って見た方が良い。その方が楽しめる。そして、それ以上に、映画なかの風景が綺麗すぎる。それにうっとりするのも正しい。
ああ、一度、イタリアに行きたいなあ。


2011年8月16日火曜日

書評:「旅する力」深夜特急ノート

おいらが始めて沢木耕太郎の叙述を読んだのは、高校生1年生の時に書店でふと手にした「破れざる者たち」というノンフィクション作品集だった。東京オリンピックの マラソン選手円谷光吉が何故「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」というフレーズを残して自殺してしまったのか。その痛々しいまでの真っ 直ぐさを、沢木の言葉が表現していく。そして、汗の臭いを感じ、若き命をかけた者達の姿を描き出していた。高校生の時に出会った一冊とはいえ、相当強い印 象を残していった一冊だ。
その沢木は、アジアからロンドンまでを移動する旅のルポルタージュのような、しかし、しっかりとした小説として組み上げた「深夜特急」で、一 躍スターダムに駆け上がる。貧乏ながら、若い時代に本当の旅をする。その旅が自分の人生に与えるものは何なのかを「深夜特急」では描いていく。おいらは 「深夜特急」は大学院修士課程の2年生の時に手にした。1987年だったと思う。まだ海外旅行を経験したことはなく、パスポートも手にしてなかった頃だ。 そのときのおいらは、この旅のルポルタージュを耽読し、しかし、数ヶ月にわたる旅をする勇気もない自分の中に生まれた泡立つ感覚をどうしようと悩んだもの だった。その後、1988年博士課程1年生の5月に韓国への出張を皮切りに、それ以降、海外出張に明け暮れる日々を過ごしている。海外に直ぐに行きたくな る気持ちの奥底には、「深夜特急」のような長期間の旅を経験したことが無いが、どうしても海外に身を置くことで、改めて自分を相対的に眺めるチャンスを得 たいと思う気持ちが、おいらを「海外に行こう!」って押すのだろうなと思っている。
この「旅する力」は、沢木耕太郎が何を考え、どのような旅を作り上げたかについてのエッセー集だ。そこには、色々な気持ち、そして60歳を越 えた今改めて振り返る旅の意味を語っている。本書は、深夜特急を読了後、期間をおいてから改めて振り返るための本として読むのがよいと思う。もしも、「深 夜特急」を読んでないとしたら、今からでも遅くない。何歳になっても遅くない。是非読むべき。旅はすばらしい力を持っているのだから。

2011年4月9日土曜日

総務省は、ちょっとぼろくないか?

総務省総合通信基盤局は、4月6日にこんなことを公式に業界に要請した。
平成23年4月6日

東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請

総務省は、本日、電気通信事業者関係団体に対し、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。

本日、「被災地等における安全・安心の確保対策ワーキングチーム」において、「被災地等における安全・安心の確保対策」が決定されました。
同対策においては、東日本大震災後、地震等に関する不確かな情報等、国民の不安をいたずらにあおる流言飛語が、電子掲示板への書き込み等により流布している状況に鑑み、インターネット上の流言飛語について関係省庁が連携し、サイト管理者等に対して、法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除を含め、適切な対応をとることを要請し、正確な情報が利用者に提供されるよう努めることとされています。
同対策を踏まえ、総務省では、社団法人電気通信事業者協会、社団法人テレコムサービス協会、社団法人日本インターネットプロバイダー協会及び社団法人日本ケーブルテレビ連盟に対して、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。
別紙:東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する要請

総務省の公式発表

この要請は本当に問題が多い。これまでのコンテンツに対する規制といえば、違法・有害情報に対する取り扱いがあった。違法コンテンツは厳正に対処すれば良い。有害情報についても、問題は多々あるが、基本的には児童ポルノ、青少年の売買春問題、出会い系サイト関連犯罪への対応ということなので、業界の自主規制と対応を政府がバックアップするということで決着がついている。これも、ギリギリだが、まぁ、何とか許容範囲。
しかし、この要請は、いままでの対応とは全く違っている。つまり、情報の信憑性を判断基準として、コンテンツの削除を含めた対応をしろと要請しているのだ。こんなことを対応できる通信事業者、サービス事業者が居たら、それはビックリ仰天だ。よく総務省の方々が言う「通信の秘密」とか、「表現の自由」とかを持ち出しているのではない。通信事業者に情報の信憑性を判断して、場合によっては削除してよいと言っているのだ。こんなアホなことがあるか。この要請は、本当に適切なものなのか?
おいらから見れば、地震に便乗した、統制強化、規制強化を狙っているということにしか見えない。

そんなことを総務省の知り合いにもメールで伝えたりしていたが、もっと仰天な情報を友人から頂いた。総務省コンプライアンス室長の郷原信郎なる人物が blog に、4月8日にこんな事をかいているのだ。


「東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する要請」について

総務省コンプライアンス室長  郷 原 信 郎

平成23年4月6日付けで、総務省総合通信基盤局長名で「社団法人電気通信事業者協会」ほか3団体に対して行われた標記要請に関して、電気通信業者の監督官庁である総務省による情報統制を懸念する声が上がっていることに関して、当職に対しても複数の問い合わせ、問題の指摘があったことから、所管の総合通信基盤局電気通信事業部消費者行政課に同要請の趣旨、内容について確認したところ、同要請は、同22年1月に出されている「インターネット上の違法な情報への対応に関するガイドライン」や約款に基づき「適切な対応」をとるという「従前どおりの対応」を求めているに過ぎず、それを超えた措置を求めるものではない、とのことである。
なお、同ガイドラインは、わいせつ物、児童ポルノ、規制薬物等に関連するもの等違法又は公序良俗に反する情報提供に関するものであり、真実性が問題となる情報についての対応を内容とするものではない。したがって、「流言飛語」が同ガイドライン上問題となることは実際上考えられない。
しかしながら、同要請において、「国民の不安をいたずらにあおる流言飛語が、電子掲示板への書き込み等により流布しており、被災地等における混乱を助長すること懸念されます」と述べた上で、「インターネット上の地震等に関連する情報であって法令や公序良俗に反すると判断するものを自主的に削除することも含め」、「適切な対応」をとることを求めていることから、あたかも、情報内容の真実性の観点から問題があると判断した特定の情報をインターネット上から削除すること等の「流言飛語」に対する特別の対応を要請するものであるかのように誤解される恐れがあることも否定できないものと思われる。
同要請の趣旨は上記のとおりであり、地震等に関連するインターネット上の流言飛語に対して、「自主的な削除」等の従来の対応を超えた格別の措置をとることを求めるものではないことが十分に理解され、総務省による情報統制の意図によるものであるかのように誤解されることがないよう、格段の御留意をお願いしたい。
http://www.twitlonger.com/show/9nuruk

これを読んで、さらにヒドイと思ったのは、なんの意味もない、単に混乱を引き起こすだけの要請が、総務省から世の中に送りだされ、その文書を作った側も、今までの対応となんら変えることは無いと思っていることが露呈していることだ。これはヒドイ。
しかし、もっとヒドイのは、この郷原なるコンプライアンス室長が、しれっと自分の blog に、こんなことを書いているのは、アカウンタビリティの観点でどうなんだ。更に言えば、総務省における情報管理に掛かるルール遵守の点で、この blog エントリはどうなんだ?

そんなことを考えると、総務省っていう役所はぼろくないか?

2011年4月2日土曜日

独立行政法人・国立大学法人職員動員令を出せ

東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた東日本大震災への対応は、端から見ても、専門家の手は足りず、しかも、現場に投入するための人員も逼迫している。いまこそ、世の中に存在する多種多様な専門人材を霞ヶ関で、また現場で働かせる時だと思う。そのためには、予算が余り必要でなく、大きな制度変更を伴わない、独立行政法人・国立大学法人職員動員令を出せばいいのだ。単に、給料は既存組織から支払い、任地を霞ヶ関、あるいは、地方支分局にすれば良いのだ。細々した費用(住居、通勤等)は、政府と送り出し元の組織で案分すればいい。どちらにしろ、根っこは同じ国税なのだ。
このような勤務形態は、実は、これまでも小規模ながら行われている。おいらが補佐官になったのも同じ。そして、非常勤公務員として発令し、限りなく常勤に近い勤務をさせれば良い。業務を与え、権限と責任を与えれば、いくらでも働くチームはできる。
同時に、動員を要請された人が、動員されるのが嫌なら、嫌で来なくていい。やりたくない仕事をさせても、どうせパフォーマンスは上がらない。マインドセットが性能を大きく左右させるので、文句がある人は来なくて良い。それでも、沢山の人が動員に応じてくれるだろう。俺たち専門家、プロは、社会のために働きたいのだ。

必要なことは、政府トップのマンデートだけ。官邸が、ちゃんと正式に発表し、このような動員をすることにしたと言えば良い。根回しは、法人理事長、学長に、総理からの依頼の手紙で、大抵すむよ。お金の問題は大したことではない。どっちにしろ、必要なものは、ちゃんと負担すればいいのだから。宿、通勤。当たり前のことだ。

さぁ、本当に、こういう機動的な人材活用をがんばって欲しい。このアイディアは実現可能です。本当に。だって、おれが補佐官6年やったのと、全く同じだもの。前例ありで、バリバリできますぜ。

2011年3月21日月曜日

書評:酔って記憶をなくします / 石原たきび編

書店で平積みにされていた文庫本。つい手にとって買ってしまった。
最近、泥酔して記憶を無くすことが多い。特に、記憶を無くしたままラーメンやら餃子やらを爆食してしまうのだ。そして、翌朝デジカメに記録されていた食事にビックリするという次第。恐らく、食事をしているときは意識ははっきりしているのだと思う。こぼしたこともなければ、衣服を汚したことも殆どない。ただ、食事をして、帰宅して、翌朝になると記憶が無いのだ。そんなことが5年前ぐらいから起き始め、相当気を付けているのだけども、それでもやってしまうんだなぁ。それでも酒を止めないのがいいんだけど。
本書では、おいらの記憶の飛ばし方なぞモスキート級であることを実感させられる、ヘビー級の泥酔記憶喪失のエピソードが多い。しかも女性のリポートもとても多い。これを読みながら、爆笑しまくってしまったが、同時に、実はおれは同じようなことをやっているんじゃないかと心配にもなってきた。いやー、リアリティあります。記憶を飛ばしたことがある人じゃないと、わかんないと思う。泥酔記憶喪失者は必読書です。

2011年2月7日月曜日

書評:「がまん」するから老化する

抗加齢(anti aging)は最近注目の話題の一つだ。実際、70歳で老人そのものの人も居れば、若々しく暮らしている人達もいる。おいらの親父様は78歳だが、本当に 若々しい。全く苦労なく歩き、一人で出かけ、活動的に暮らしている。おいらも、老いてもやはり若々しく暮らしたいと思っている。そうなると、どう老いてい かないか、加齢にどのように抵抗するのかが関心事になるのは当然だ。そんなことで、本屋の店先に平積みされていた本書を手にとってみた。
本書が主張するのは、抗加齢について、これまでの常識といわれていたことが、実は余り正しくないことが分かってきたことを伝えている。たとえば、メタボリックシンドロームで多くの人達が注目したBMIだが、わが国では男性の肥満はBMI25を超えた人達と定義されている。しかし、長生きという視点でみれば、実はBMI25-29のゾーンにいる人達が統 計的にも長生きするのだ。コレステロール値も225以下にしなさいという健康指導が行われるが、それ以上の値を叩き出している人達が長生きで、またコレステロールはセロトニンの運び役ということが分かってきて、ぼけ発症がしにくいことも分かっているのだ。
そんな色々なことを伝えながら、実はストレスが一番の抗加齢の敵であることを明らかにし、日本人の「がまん」を美徳とする姿勢が、実は老化を 加速させるということを主張する。加齢を遅らすためには、活動的な生活をすること、楽しいことをすること、精神的刺激(喜び、笑い、感動)取り入れるこ と、適度な運動、そして、実は美食なんだそうだ。ワインもとても良いと。さらに心が躍動する恋やSEXも、抗加齢にとても良いそうだ。つまり、奔放に生き ろと主張するのだ。自由人で活動的であれと言う。なるほどね(喜)
ちなみに、本書はフォントサイズも大きく、飛行機に乗っている間に読了してしまった。ちょっとね、中身については薄っぺらいし、データ等を 使った論証も少ない。さすがにね新書ブームとはいえ、ちょっと粗製濫造を感じるなぁ。もう少し練った読み物として、ある程度読み応えの有るモノにして欲し いものだ。
ということで、この本だが、立ち読み等で、読みたいところを拾い読みすれば十分読了できる。いや、いや、いや。そんなことを推奨しては、よろしくないね。もちろん、みなさん、買って、読んでください。

2011年1月20日木曜日

書評:日本国の原則 / 原田泰

著者は、経済活動の自由、私有財産が保護されるという安全、そして、契約が実行される信頼。自由、安全、信頼が経済発展にとても大切な基盤であることを、まずは再認識させる。その上で、自由経済主義による発展が、明治以降の日本の発展の姿であることを、歴史から明らかにする。そして、同時に、政府が経済活動に介入する、すなわち規制・統制を加える事によって、この国の経済は常に変調を来してきたこと示す。オイルショック以降の日本が全く発展しないのも、全て経済への政府介入が問題であると結論づける。

さらに、グローバル主義、人口減少社会、教育にも、原田独自の論を展開する。これも説得力のあるものが多い。

たまたま本屋で手にした本だったが、これはとてもタメになる本であった。良書です。

2011年1月18日火曜日

書評:ジェット旅客機の操縦 / 中村寛治

東京・大阪間を年間100回近く飛んでいるのだが、どうやって飛行機は飛んでいるのかを何となく分かっていたけども、ちゃんと理解しようという機会がなかった。本書は、この疑問に全部答えてくれる良書だ。しかし、パイロットって、国内線だと結構忙しいのね。タメになる本です。

2011年1月2日日曜日

書評:日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか / 竹田恒泰

空港の書店で、何気なく手に取った新書。著者の竹田は、積極的な日本って凄い!論を展開する。海外から見た日本はとても人気がある。そして、日本国 内では自虐的な自国イメージが蔓延している。本当は、日本はその凄さがあり、その良さを大切に育てれば、日本はまだまだ世界で頑張って行ける。それは、既 存の経済優先価値感ではなく、日本が育んできた自然との共生、他者に対する思いやり、そのような持続性社会と平和を希求する価値感を持った日本である。そ の日本の中心には天皇が存在し、その存在を正しく社会が理解することこそ大切であると主張する。
日本は、世界中で好かれているし、そのための努力をしてきた人々の長年の苦労と成果によって現在の地位が保たれている。さらに、文化的にも日本は "cool" なものを沢山生み出してきた。しかし、その価値感がを維持したまま、グローバル化する経済社会と付き合い、同時に、我が国に生きる人々を安寧に過ごせるようにしていくのか。これは、単に文化論、社会論だけではどうにもならない。もう少し、世界に向かって、日本はどう生きていくかを考えることが沢山あるだろうと思う。
著者の竹田は「自国の神話を教えていない国は100年以内に滅びる」という言葉を、何度か本書の中で紹介する。日本は、第二次世界大戦後75年を経ている。もうあと25年以内に滅びる運命なのだろう。しかし、そこまで日本人はアホではないと思う。
日本をどのように生存させるかを考える議論において、一つのパズルピースを構成する話題を提供している本だ。一つの extreme として読むのも楽しい。ただ、これだけではない、数多くの価値感と世界観とシステムと日本は取り組んでいかなければならない。その意味で、視野を広げる道具としての価値を、本書には見いだせると思う。
ちなみに、経済が上手くいかず、国内に閉塞感が高まっている時ほど、極端な論が通り、ファッショを呼び込む道具になってしまう。そのような観 点から、注意しながら読まないといかんかなという、アラームも頭の中に鳴るんだなぁ。実際、読了後考えてみたが、おいら個人は、この本に100%同意して いる訳ではないよ。特に、現在の経済システムの複雑さと野蛮さを考えた時に、日本民族のアイデンティティの確立だけで、この国を生きながらえさせることは、かなり難しいと思う。その意味で、マインドセットに訴えかける言葉としては面白いが、政策の方向性とかで見てしまうと怖いものがある。
あと、天皇が祈る存在であるというのは、全く同感だ。これは、中沢新一の「アースダイバー」でも語られていた「森に住む天皇の意味」と、ほぼ同種の論である。
それから、伊勢神宮の「木材」をどのように利用しているかについての説明は興味深い。