2010年6月27日日曜日

紙の本と電子書籍

最近 kindle とか iPad とかの普及で、電子書籍が話題だ。確かに、本を持ち歩くのは重いし、読了後の本は本棚に溢れ、しかも実用書でなければ何度も読み返す本はかなり少ない。それを考えると、電子書籍となれば、重さの問題や、保存の問題も解決する。さらに、電子化によって検索性が確実に向上するし、百科事典等のリファレンス系書籍では電子書籍によって構造化した構成が可能となるといった、電子化に特有の利点も享受することができるようになる。良いことづくめだ。
ところが、一方で、おいらの中には紙の本に対する未練がたっぷりある。たぶん、これからも紙の本を買い続けるであろうと思う。手触りと重さ、パラパラと頁をめくる感覚は、電子書籍では得られない。積み上がった本は、空間を占拠するが、同時に自分の中での知的活動の達成感を高めてくれる。紙とインクの香りもセクシーだ。紙の本を読むという行為が持つ「身体性」に惚れているところがある。
先日、ある方から「今後10年ぐらいで世の中は急激にEV(電気自動車)に変わっていくでしょう。先生はどうされるんですか?」と聞かれた。おいらの答えは「とはいっても、ガソリン車の泥臭さと、MT車の操作感は忘れられないから、やはり今後もガソリン車に拘っていくのではないか」だった。
おいらは「身体性」という桎梏に捕らわれているのだろう。しかし、「身体性」に捕らわれることは後進性では無い。単に考え方の違いだけだ。ただ、生き物としての人間である以上、身体性という要素を積極的に無視するような生き方はしたくない。

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